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「反応しない」ことのススメ

これもここのところ一気に読んだ本です。
2冊二日で一気読みです。
インド仏教の専門家である、草薙龍瞬(くさなぎりゅうしゅん)氏の「反応しない練習」と「これも修行のうち。」です。
だいぶ前に名越康文氏の「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」をこのブログでも紹介しています(http://hrokamo.blog.fc2.com/blog-entry-89.html)が、このあたりからブッダの思想に興味を持ち始めていろいろな書籍をあさるようになりました。
そうしているうちに出会ったのがこの2冊です(「反応しない練習」の方はkindle版です)。

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人の心にはキャパシティがあり、現在のような情報過多の時代ではそれだけで人の心は飽和してしまいますし、そういった情報から巻き起こる感情の動きに振り回されてしまいます。
これで人の心が疲弊しないはずがありません。
ブッダの教えはそういった現代人の心の疲れを癒すのにもってこいです。
ただ、誤解を招いては困るのですが、これらの本は仏教の本ではありません。
もともとブッダは「人が苦しみから解放されるにはどうしたらいいのか」ということを教えて人を救うために活動していました。そこには宗教色というのはほとんどありません。
ブッダの教えは「思想」であり「哲学」です。その「教え」が現代人の心を救い幸福をもたらすメソッドになる、という本です。
ですから、ブッダと聞いて宗教色の強い本では?という懸念はまったく不要です。

ブッダの教えによると「心」のデフォルトは「何も考えない」状態であるそうです。ただ「感じ」「認識する」だけです。
ただそれだけ?と思われrかもしれませんが、「感じる」ことによって自分が客観的な立場に立つことができるようになります。実はそれがすごく大切なことです。
「感じて」いることを「認識」することで「心」がニュートラルな状態に戻ることができ、冷静になることができます。

「心」は外界の刺激により「快」と「不快」を行ったり来たりしますが、その中心である「どちらでもない」状態こそが本来の心の状態です。だから雑念で満たされてしまっている「心」を「何も考えない」ニュートラルな状態に戻してやることで、「心」に隙間やゆとりが生まれ、冷静に物事を判断できるようになります。
この「考えない」状態を作る練習を積むことで、ちょっとしたことに「反応」しなくなり、冷静に物事を受け入れることができるようになります。
もちろんこのような「考えない」状態にするというのは意外と難しいものです。皆さんも1度「何も考えない」状態を続けてみてください。おそらく3分それを続けるのも至難の業であることがわかると思います。それだけ人間の「心」は雑念に支配されているということで、だからこそ「練習」が必要なのです。

実はこの「反応しない練習」というのは今話題になっている「マインドフルネス」と同じものであると私は考えています。
考えたり、評価したりしないで、今自分の感覚(五感)で感じていることをそのまま受け入れ、心をそれで満たす、まさにマインドフルネスです。
マインドフルネスはグーグルが社員研修などでも取り入れていることでも有名ですが(Search Inside Yourself)、アメリカではビジネスマンの間で「瞑想」がすごく評価されていて、有能なビジネスマンや経営者のほとんどが「瞑想」を行っています。この瞑想の一形態として取り上げられてきたのが「マインドフルネス」(厳密にいうと瞑想=マインドフルネスではないと思いますが)です。
「マインドフルネス」に関しては私も以前からかなり真剣に勉強していて、その効果も確信しています。そしてこの「マインドフルネス」こそ「反応しない練習」です。

「マインドフルネス」に関してはいろいろな考えややり方があるのですが(発売されている書物の数だけ、それを読む人の数だけあると私は思います)、この「反応しない練習」はすごく入りやすくて、簡単なので日々実践しやすいものです。「これも修行のうち」を読めばそれがよくわかります。
「マインドフルネス」に関してはまた別の機会に書くつもりなのでここでは詳細は避けますが、この2冊の本がマインドフルネスの入門書としても最適ではないかと考えています。

「反応しない」ということは私が得意とするアドラーの心理学にも通ずるところが多分にあります。特に「自分の領域」と「他人の領域」の切り分けのところなどはほとんど同じ考えかと言ってもいいかもしれません。
心理学は哲学とどこか通じるところもあるので、そういう意味でもブッダの教えとアドラーの考えというのは同じ思想を共有しているのではないでしょうか。

この2冊の本ですが、「反応しない練習」が解説編で「これも修行のうち」が実践編といえるかと思いますので、ぜひこの順番で読んでもらえれば、と思います。
ただ「反応しない練習」は結構中身が濃いので、「そんな時間あるか」なんて人は「これも修行のうち」だけでもいいかもしれません。

実は私には中学生のころあたりから自分へ言い聞かせる言葉として
「何事も経験!」
という言葉を持っています。
どんないやなことや苦しいことがあっても「何事も経験!」と自分に言いきかせれば、不思議と心が落ち着いてきます。
それゆえに、この「これも修行のうち」という言葉には賛同できるところが多いのかもしれません。

先にも書きました通り、この2冊は宗教書ではありません。そして難しい専門書でもありません。非常に平易に書かれていて、私でも一気に読めました。
メンタルヘルスを保つ上でもおすすめの本です。







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100時間程度で死ぬのが情けない?

つい最近、武蔵野大学の長谷川教授が「電通の女性新入社員自殺で労災認定 残業月105時間」の記事を受けて、「残業100時間を超えたくらいで過労死するのは情けない」などとインターネット上に投稿していたという記事が流れました。
結果として本人が「言い訳」して謝罪しましたが、大学側も謝罪して教授の処分を検討するということになりました。
長谷川教授は東芝で財務畑を歩いてきて、このころにかなりきつい就労環境を生き抜いてきた、という自負があるからこそ、こんな発言が出たものと思われます。

情けないですねぇ・・・C= (-。- ) フゥー

自分が100時間以上の残業が当たり前だったからと言ってこんな風に思うなんて・・・しかも堂々とそれを公表するなんて・・・

確かに時間だけ見れば長谷川教授の方が多かったのかもしれません、仕事量も多く、今と違って手作業も多かったでしょう。経理という数字を扱う部署でミスが許されないというプレッシャーもあったかもしれません。
でも当時の仕事と今の仕事の中味は大きく変わってきていてストレスの質も変わってきています。過去と今を同じレベルで判断するべきではありません。
そのうえ今回の電通の事件の「被害者」はまだ入社して1年たっていません。まだまだ会社というものも社会というものも十分わかっていない「未熟な」状態です。それにも関わらず即戦力として期待されて過剰な仕事と責任を負わされた結果起こってしまった悲劇です。
長谷川教授が実際にどのような労働環境を過ごされてきたのかはわかりませんが、長谷川教授の発言はあまりにお粗末で配慮に欠けた発言として非難されても仕方ないと考えます。
あなたの身近な人が同じ目にあっても、あなたは「情けない」とつぶやけますか?
と言いたいところです。

しかし、今回の長谷川教授の発言は論外であることは間違いありませんが、私がそれ以外にも「怖いな」と感じたのはこの発言にひそかに賛同する人がいるということです。
もちろんそういった人はそんなことは口にはしません、でも、言葉の端々になんとなく「少しは賛同できる」という思いを感じる人がいます(もしかしたら本人も気が付いていないかもしれませんが)。そういう人たちは長谷川教授と同様に厳しい労働環境を生き抜いて来たという自負と、アドラー流にいうのであれば、それによる優越感を抱いているのかもしれません。
ちなみに私も昔「電算課」だったころは残業100時間超えなんて当たり前、徹夜・休日出勤当たり前、有給とるのは罪悪、というかなりきつい環境でした。ですから、私もよく若い人たちに「自分の若いころは100時間・・・」なんて語っています。でも、もしかしたらこれも自分の心のどこかに「優越感抱きたい」という欲求があるのかもしれません。
アドラー心理学から見るなら、
自分が乗り越えられた「苦労」を他人が乗り越えられない時、そこに「優越感」を感じて「できない」ということを批判する。そして、他者と自分の差を強調し、それによって共同体の中で特別なポジションに立とうとする。
そんなライフスタイルを私も持っているのかもしれません。
自分が少し怖くなってしまいます。

とにかく人が「死ぬまで働く」「死ぬしか逃げる道がない」などというのは絶対におかしいです。
「死ぬくらいなら辞めればいいのに」とか「命と仕事のどちらが大切か考えたらわかるだろう」などという人がたまにおられます。
しかし、私にも経験がありますが、追いつめられてしまった人間には正常な判断ができません
本来ならばいくつも選択肢があるはずなのに、その選択肢が「見えない」のです。そして、「死」というワードにたどり着いてしまったらそれから逃れるのはとんでもなく難しいです。
だからこそ、そうなる前に、理性的な判断ができなくなる前に、何とかしなくてはいけません。
本来ならば周りが「気づく」ことができるはずです。しかし、今回の「被害者」はそれができませんでした。
なぜなら・・周りも異常だからです。
こういった環境を作る土壌を作ったのは会社であり、その「社風」です。
「見守り」の風土がこの会社にあればこういった事件は起こらなかった、と断言できます。
そう意味で会社の「安全配慮義務」はまったく果たされていなかったということです。

奇しくも昨日(2016/10/14)労働基準監督署の電通本社・支社への一斉臨検が行われたという記事が新聞に大きく報道されています。
過去の経験を全く生かすことなく、同じ過ちを繰り返した電通の責任はとんでもなく重いといっていいでしょう
過去の事件の後しばらくは会社も積極的に動いていたのでしょうが、まさに「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で、そういった動きは形骸化していき、成果最優先の方向性のなかで「利益を生まない無駄な作業」に貶められていったのでしょう。

「安全配慮義務」をしっかり守り、人を大切にすることが本当に会社の利益につながるということを会社は認識していってほしいと考えます。



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そこそこ一気読みでした

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一般社団法人 日本メンタルヘルス講師認定協会代表理事である見波氏がご自身の経験からメンタルヘルス不調がどういった場面で起こるのかを中心に書かれた本です。
見波氏のお名前は以前から耳にしていましたが、その著作を読むのはこれが初めて。
私自身もメンタルヘルス対策担当として勤務してきましたし、また現在も産業カウンセラーとして企業のメンタルヘルス対策にかかわりも持っています。
そういう事から、発売されてすぐに購入したものです。
これをほぼ2日かけて読み通しました。
で、感想は?というと・・・

読んでいるうちに「うんうん」とうなずくところも多いのですが、全体的に比較的常識的な内容しか書いていなくて、その対策も特に目新しいものはない、

というのが感想です。
それと、けっこうご本人の思い込みというか、きめつけの部分も多く、そのあたりが鼻につく、という感じです。

「飲み会のない職場は心が折れる」といったことを書かれていますが、今の時代「飲み会」そのものがなくなってきていますし、仲間内の飲み会も仕事が忙しいとか、結婚して子供ができたりとかで、何か特別の理由がない限り集まることはなくなっている感じがします。
もちろんお酒が好きだから、といったことで仲のいい者同士で飲みに行くといったことはあるでしょうが、それでもしょっちゅうというわけにはいかないでしょう。
それなのに「飲み会がないから心が折れる危険あり」という表現には疑問符が付きます。
今時そんな昭和を語られてもなぁ、と感じます。
だいたいそれならお酒を飲まない人も無理をしてそういう席にでなければいけないのか?とも思います。
私もお酒を飲みませんが、それでストレスを発散できないなんてことはこれまで感じたことはありません。

それともう一つ、
「運動部出身でなければ心が折れやすい」といった表現もありますが、これはまったく賛同できません。
運動部にいた人は「不合理な縦社会」に鍛えられているから、会社に入っても、会社の「不合理な縦社会」に耐えることができる、という意見のように取れます。
だったら運動部の経験のない人の方が「心が折れやすいのか」ということになりますが、その点について著者ははっきりと、「自分の経験から言ってそう思える」と書かれています。
でも、私がこれまでメンタル対応をしてきた「経験から」言うと、運動部出身なんてなんの意味もない、と思っています、と言い切れます。
実際前の会社でもメンタル不調でダウンした多くの人が運動部出身であったという事実もあります。
ある会社の人事部長などは「却って運動部出身の方が心が弱い」という意見を聞いたこともあります。
まるで、運動部出身でなければ心が弱い、と言わんばかりの論調はどうなのかなぁ、と首をかしげたくなります。
やはり、ストレス耐性やレジリエンスなどは個人の資質によるものが大きいと私は考えます。

あと気になったのは、「ご自身の主催するセミナーの宣伝?」と思えるようなところがあること。ちょっとうざいかなぁ、と感じます。
それと、「うつ」や「うつ症状」のメンタル不調には当然触れていますが、最近の「新型うつ」にはまったく触れていないところもちょっと不思議に感じました。
産業カウンセラーとしてそこそこ大きな企業で面談を行っているのであれば必ずと言っていいほどこの「新型うつ」のケースを体験しているはずです。
私ですらそういった人と面談したことがあります。
ページの関係で省いたのかもしれませんが、「新型うつ」というのは今の企業では高い危機感をもってあたらなければいけない事案であると私は考えます。

この本は読みやすいですし、著者がメンタル不調に真剣に立ち向かう「熱い思い」も感じられるし、いい内容の部分も多いだけに、こういったマイナス面が目立ってしまっているのはすごく残念だなぁ、と思いました。
自分の思い込みで「押しつけ」になってしまっている部分が鼻につくところがあるというのは実に残念です。

メンタルヘルス対策 三つの予防プラス・・ゼロと四

メンタルヘルス対策のうち、その予防策として以下の三つがあることを以前の記事で書きました。
それは以下の3つです。

1.一次予防 精神障害をはじめとするメンタルヘルス不調の発生を未然に防ぐための取り組み。“病気が発症する前の予防”
2.二次予防 病気を早期に発見し、迅速に適切な対応を取るための取り組みです。“病気の早期発見・早期対応”
3.三次予防 現在の病状を適切に把握・管理し、病気の重症化を防ぐための取り組み。“病気の発症後の取り組み”


この3つの予防策を中心に社内にメンタルヘルス対応の機能を組み込んでいきます。
しかし、昨今、企業の中でこの3つ以外の予防策がささやかれています。

0.ゼロ次予防 メンタル不調を起こすような人物を洗い出しそういった人物を入社させない
4.四次予防 メンタル不調を起こした社員、または起こしそうな社員を早期に退職させる


けっこうショッキングな内容です。
もちろんこれは決して公式なものではなく、こういう「予防策」を考えている人や企業がいるということです。

ゼロ次予防に関しては、入社試験で性格検査や心理検査を行い、その結果をもとにメンタル不調リスクを割り出し採否に結び付ける、というものです。
これは「メンタル特性」や「心理傾向」などといった言葉で表されているようですが、いろんな企業から「検査」が売り出されています。
しかし、実際にこういったメンタル特性などが本当にメンタル不調のリスク回避になるかというと、私はかなり懐疑的です。
第一メンタル不調はストレスによって引き起こされるものであり、そのストレス耐性に個人差はあるものの、どんなに強い人間であってもストレスのあり方によってはメンタル不調を引き起こす可能性はあるわけで、仮に「なりやすい」人を排除したところで根本的な解決にはならないといえます。
四次予防の方はもっとシビアです。
一度メンタル不調を起こした人の再発率はかなり高いこと、復職させるにしてもかなりの配慮が必要で、業務への影響も小さくないこと、等々からみても、メンタル不調者を抱えることは企業としては相当な負担です。そんな負担を背負うくらいなら退職してもらいたい、と考えて、そうなるように持っていきます。

これらのことからわかりますように、一般的なゼロ次予防や四次予防はいわゆる「排除」に「すぎません。
もうこうなったら「予防」とはいえません。

私はメンタル特性や心理特性の検査を否定するものではありません。
ただ、それを「排除」の道具として使うのではなく、個人の特性や状態を把握して会社がそれをもとに個人別の対応を行うための指標として利用すればいいのではないかと思います。それによって、その人のもつスキルや能力を活かすこともできるはずです。
もっとも、そういった「きめの細かい」対応を会社がするには、お金などのリソースもスキルも気力も必要で、なかなかできるものではありません。また、そのノウハウもなかなか得ることができません。特に中小企業ではその負担は経営そのものを左右してしまいかねません。
だからこそ、手っ取り早い方法として「排除」が選ばれてしまうのだろうと思います。
寂しいことですが、それが現実です。

なお、ゼロ次予防と四次予防に関しては、実は必ずしも「排除」ではない対策のものもあります。
これらについてはまた別の記事で書きたいと思います。

熊本地震から1週間です

熊本では(大分も含みます)地震から1週間が経過しました。
熊本では大雨警報が出たりして、さらに厳しい状況になってしまっているかと思います。
被災された方々へは心からお見舞い申し上げます。

雨はともかくとして、時期的にはそろそろ被災された方々も緊急の生命の危険から脱し、現在自分が置かれている環境を冷静に判断し始める段階に入っているかと思います。
この時期では自分の置かれている状況が日常とかけ離れた状態であり、今後に関しての強い不安を抱くようになります。
恐らく被災された方々は本当につらい状況であり、不安な毎日を過ごされているかと思います。

被災された従業員に対応する場合、その人が「強い不安」を抱いているということを意識した対応をしなければ、よかれと思って発言した言葉が相手を深く傷つけることがあります。
私も東北沖地震の時には「気安く『頑張ってください』言うのは厳禁です」とコンサルタントから言われました。
特に会話を終わるときに社交辞令的に「頑張ってください」などというと、人によっては「何の心配もなくぬくぬく生活しているお前達言われたくない」と思う人もいるからです。そう思われてしまうと、それまでやってきたことがすべて台無しになってしまいます。
では、どう言えばいいのでしょうか?
そのコンサルタントは、
「それでは、何時でも構いませんから、連絡したいことがあったらすぐに電話してください。」
といった言葉で、「あなたを決して見捨てない」という強いメッセージを送ってください。
と言っていた記憶があります。

でも、本当にそうなのかなぁ、というのがその時の私の思いでした。
「気安く頑張って」って言いますけど、実際にそんな状況で「気安く」なんて感じで話をする人はいなかったと思います。
たしかに、被災された方々はどうしてもその強い不安感から「安全地帯」にいる私たちに、一種の「敵意」(言葉は悪いですが、これ以外の言葉が思いつきませんでした)を持っています。これは以前私が被災した立場の時にも感じた感情です。これは自然なことだと思っています。
その「敵意」がある以上、本当に心を通わす対応というのはとても難しいです。
何をしても額面通りに受け取ってもらえない状態が続きます。
お互いすごくしんどいです。

こんな時、「私も被災経験があります」ということはタブーだとコンサルタントに指摘されたと前のブログで書きました。
感情が入りすぎ不公平な対応を生む可能性がある、とか、被災された方々に不要な依存心を起こすとか・・いろいろな理由を聞きましたが、私はどうも納得感はなかったです。
ただ、コンサルタントの指示通りに話はしませんでしたが、今でもこれについては悩んでいます(これも先のブログで書きました)。
共通の被災経験を語ることで気持ちの交流ができるのではないか、気持の交流ができれば心の支えとなることができるのではないか、とかいったことも考えました。

でも、これから地震で被災された方々とコンタクトをとる方、とくに人事関係の方は被災された方々の精神状況は被災直後よりもいらだちと不安を抱えていることをしっかりと意識して、きちんと言葉を選び、忍耐強く対応する必要があります。
大変かとは思いますが、「人災による」二次被害が起こることがないようにしてください。
プロフィール

気まぐれ社労士 

Author:気まぐれ社労士 
企業では安全配慮義務や労務管理、人事制度・諸規定など課題はたくさんありますが、今の企業では「疲れ」への対策がすごく重要です。少しでも人事関連で疑問やお困りのことがあればご連絡ください。きっと解決策が見つかります!





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