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ケーキ! 一部修正

神戸生まれ神戸育ちの私はケーキが大好き。
あんまり私は食べものにこだわる方ではないのですが、あえてこだわるものとしては、

ケーキ : 
甘いだけはいや。カステラと生クリームが決めて。
珈琲 :
萩原珈琲のマンデリンが最高。萩原珈琲の香りとコクのある深い味わいは他になし
紅茶 :
高い紅茶はいっぱいあるけど、ストレートならトワイニングのアールグレイ、ミルクティーなら同じくトワイニングのオレンジペコ
パン :
なんといってもビゴのパンのバタール、あのかんだときの口の中に広がる香りはたまらない。ビゴさんのパンの伝統を継ぐドンクも好き
焼き菓子 :
ツマガリのクッキーも好きだが、神戸っ子としては何といっても、フロインドリーブ。特に耳パイは焼き菓子としてはおそらくぶっちぎりでトップ。シュトーレンも紀伊國屋ものものよりも数段上行ってる。ああ、あのバターの香りがたまらない。
ポン酢 : 
なんと言っても、旭ポン酢。さっぱりした味わいなのに、薄まっても味があまり変わらない。
はちみつ : 
メーカーはあまりこだわらないけど、国産のアカシアはちみつが一番好き。でもアクティブマヌカもけっこう好きだったりする。
お好み焼き :
あんまりこだわってるわけじゃないけど、やっぱり一番シンプルで原点のブタ玉が一番すき。絶対にマヨネーズは塗らない。

てな感じです。
で、下が今日買ったモンプリュのケーキです。

montpluexx.jpg

(うーん、写真の写りがいまひとつ・・・)

モンプリュは神戸南京町のさらに南にある海岸通りにあるお店です。
中にカフェもあるのですが、休日なんかはいつも混んでいて、なかなか座れません。
私にとって、今現在、神戸で一番と思うパティスリーです。甘さは控えめで、お酒を使ったケーキも多い。まぁ大人のためのケーキなので、子供向ではないかも。
とにかく、凝ったケーキが多いのに比較的リーズナブル。
写真のケーキ5つで2500円でおつりきます。
アンリもおいしいんだけど、値段の割にカステラに手を抜いている気がします。
値段も考えたら何といってもコスパ最高なのは、本町ケーキ元町ケーキのザクロ。これはすごい、時々無性に食べたくなります。(でも、最近味が落ちたような気がします・・・・)

さぁ、今日は自分のお気に入りのケーキで至福の時を過ごせそうです。

お役人あがりは・・・

まぁ、みんながみんな、そうではないでしょうが・・・
どうも、お役人上がりの方々は一般的な常識とすれがあるように感じます。
ここで、「お役人上がり」と私が言っているのは、主にお役所から天下ってきた人たち。
私は、企業年金基金の常務理事と健康保険組合の事務長を経験しています。
その時に数多くの「お役人上がり」の人たちと交友を持つ機会があり、すごく考えさせられました。
企業年金基金、厚生年金基金と健康保険組合はそれぞれ企業年金基金連合会、全国健康保険組合連合会を筆頭とする、いわゆる業界団体を運営しています。
まず、そういった上部団体の役職者はほぼ、お役人の出向か天下りです。
そして、企業年金基金も健康保険組合も、総合型と呼ばれる、複数の企業が加入する基金、健保の理事長、理事、事務長といった役職者もほぼ、お役人の天下りです。
お役所からしたら、あまり忙しくもないし、給与も高い(けっこういい金もらってますよぉ)、非常にいい受け入れ先です。
昔は企業が単独で設立する単独基金や単独健保でも、お役所から役員のあっせんがあったと聞いています。
とにかく、そういったお役人上がりの役職者たちは、みんな同じ「臭い」がします。
お役人くさい、と言ったら失礼かとは思いますが、そういった人たちはやはり、一般の人たちと常識がずれています。
業界団体の運営は、お役所の肝いりもあるせいなのか、基金も健保も、そういった総合型基金・健保の役職者が行うケースが多いのですが、そういった会合に行くと、けっこう違和感を感じます。
さすがに最近では減っては来ているようですが、
「物見遊山」を「研修」に、
「自腹以外の飲み会」を「社会的交友を図るための懇親の場」に、
「ゴルフ」を「健康のためのスポーツ」に、

といった感じで勝手に読みかえてくれます。
私が参加したどの会合でも、
「今年はどこに行きましょう」
「あそこはもう一度いったからいいや」
「最近はいい温泉につかってないしなぁ」
「何が食べたいですか」
「もういい加減あちこち行ったし、行くとこなくなっちゃったよね」
「あそこの料理はいまいちだったから、今年は別の旅館にしようよ」
「去年のコンパニオンはあまり愛想よくなかったよね」

といった会話ばかり。
とにかく、我々一般人と違って、
金を使うこと何とも思ってない!
人たちばかり。
だから、懇親会したら、コンパニオンはいっぱいいるわ、帰りにはお土産まであるわ。
もう、正直いい加減にしてよって世界です。
研修旅行だからと言って参加すると(付き合いがあるので断りきれないところもあるんです)、とにかく見物ばかり、何かの体験(たとえば紙漉き体験)とかしたら、それで、「いろいろな職業を実際に体験することで見識が深まる」んだそうです。
旅行でもコンパニオンとお土産はつきもの。
以前はこれにゴルフまでついていたそうです。

さすがに最近ではこういうことも少なくなってきましたし、批判も受けるようになりました。
しかし、先日のAIJ投資顧問株式会社の事件とか、事務長の横領事件の多発とかみていると、運用のことも何に知らないど素人が何億という金を自由に運用できる体制になっていたことでもわかるように、まだまだ超ぬるま湯の世界なんだろうな、と思います。
お役人上がりのみなさん、きっとまだあなたの常識は一般とはずれてますよ。
もっと、まわりを見渡しましょう。

少年時代

私は今産業カウンセラーの講習を受けています。
そこで、自分の少年時代の思い出という題の作文を書くという課題がありました。
実は、私には小学生時代に自分の人生を決定づけた、ある出来事があります。
そのことを書きました。
作文で書くことで、あらためて、いかに自分にとって大きな出来事だったかを考えさせられましたので、ここでも、ちょっと書いてみたいと思います。

私は3月生まれの、いわゆる「早行き学童」です。
学校では学年で一番年下ということになります。
そのため、クラスの中にはほとんど自分と1年近く「年上」の子供がいたことになります。
小学校の低学年ではこの1年の差はすごく大きいです。
ただでさえ、体が小さかった私は、完全に子供の中の子ども扱いです。
運動も苦手で、外で遊ぶよりは教室や家の中で本を読んだりしているほうが好きな、おとなしい、いや暗い子供でした。
あまり、周りともなじめず、友達もほとんどいませんでした。
自分から人に話しかけるのもすごく苦手で、その上人見知りが強く、そばに知らない人がいるだけで気後れしてしまい、ものすごく息苦しく感じていました。
自分で言うのもなんですが、本当にはっきりしない、いじいじした、イヤなガキでした。
今から思えば、そんな自分がよく、いじめの対象にならなかったのが不思議です。
いじめる値打ちもなかったのかもしれません。

そんな、いじけたままで小学校4年生になったときのこと。
私のクラスの担任として、F先生という若い男の先生が赴任してきました。
F先生はすごくスポーツ好きで、特に野球が大好きでした。
そのため、授業が終わっても、子供たちを連れて近くの公園でしょっちゅう野球をやっていました。
(当時は公園で野球できたんですね・・・)
もちろん私はそんなものに参加する気なんて毛頭ありません。
野球なんてまったく興味がなかったし、バットをふるどころか、ボールもまともに投げたことありませんでした。
しかし、ある日、F先生が私に、「今日は絶対参加しろ!」と肩をたたいて言いました。
私は見るだけなら、ということでイヤイヤ参加したのですが・・・
最後の最後で、突然バッターボックスに立て!と指名されました。
先生からすれば、あまりにいじけて、つまらなさそうにしている私をどうにかしてやろうという気もあったかもしれませんが、それまで、ボールもバットもさわったことない私にそんなことできるわけありません。
でも、先生は簡単にバットの握り方だけ教えると、さっさと行ってこい、と背中を思い切りたたきました。
仕方なしに私はバッターボックスに立ちはしましたが、何にもしないで立ちんぼのまま、あっという間に2ストライクです。
その時、F先生が「目をつぶって振り回せ!」とむちゃくちゃなアドバイスを飛ばしてきました。
そして、
「ふらなきゃ、何にも起こらないぞ」
と大声で言ってきました。
それを聞いた私は、もう、やけくそです。
ピッチャーが球を投げたのだけ見たら、もう、目をつぶってバットを振り回しました。
そしたら・・・
バットにボールが当たりました。いや、あたってくれた・・?
もちろん、当たったというだけで、ボテボテのキャッチャーゴロです。
すぐにキャッチャーが球を取って、私の背中にタッチしてアウトです。
しかし、すぐにF先生が飛んできて、「やったなぁー」と大声ですごく喜んでくれました。
私は何が何だかわからずに、ずっと、そのボールがバットに当たった感触を不思議な思いで感じていました。
F先生が、よくやった、よくやったと肩を何度もたたいてくれていましたが、自分はずっとその感触をかみしめていました。
「自分が振ったバットにボールがあたった・・」
私にとってはすごく不思議な思いでした。
「振ったからあたった・・・」
当たり前です。でも、そんな当たり前のことがすごく新鮮に感じられました。
「野球やってみようかな・・」

その日、家に帰るやいなや、母親に「野球の道具がほしい」と言いました。
母親は、一瞬、えっ、と驚いた顔をしましたが、その日のうちにバットとボール、そしてグローブを買ってくれました。
当時としてはこの3点そろえるだけでもけっこうお金かかったと思いますが、母親からしたら、私が自分からそういうことを言い出したことがうれしかったのでしょう。

その後、私は積極的に野球にも参加するようになりました。
もちろん何もできない超へたくそです。最初はいろいろ非難されましたし、うまいやつからすれば邪魔なだけです。
それでも一生懸命やってる自分を周りもだんだん認めてくれるようになり、そうなると、友達も増えてきて、以前とはまったく違う自分になっていきました。
F先生は、私が積極的になんでもかかわるようになったことがすごくうれしいと母親に言ったそうです。
残念なことにF先生は1年で別の学校に移っていきましたが、F先生は私のこれまでの人生で、本当に忘れがたい人の一人です。
そして、私は、今でも、あのバットにボールがあたった手の感触を忘れていません。
F先生と巡り会わなければ、
あの時、ボールがバットにあたっていなければ、
今の自分とはまったく違った自分がここにいると思います。

これが、私の少年時代の一番の思い出です。

"様"のつく仕事

"様"が付く仕事ってどんなものがあるだろうって考えてみました。
真剣に考えてみましたが、

「お医者さま」
「坊様」


くらいしか思いつきませんでした。
まぁ「お代官様」とか「お役人様」とかいうのは今の時代には言いませんし、
「先生さま」というのも一般名称とは言えません。

私は"様"のつく職業っていうのは本当にとんでもなくすごいものなんだなぁ、と思います。
「王様」とか「神様」とか「仏様」(「職業」とは言えないですが・・・(^_^;)。
このように"様"がつくのは「人間」をこえちゃってるんですね。
(「王様」は人間だけど、王権神授説とかエジプトのファラオからみたりすると「人間」を超えたものですね)。
こうして考えてみると、
「お医者様」と「坊様」、
どちらも人の命を扱う仕事です。一方は助けて、一方は送り出す(?)。
命にかかわるからこそ"様"がつく、ということでしょう。
それだけ、この"様"という言葉は思いの他、重たい意味を含んでいるという事です。
それだけに、"様"がつくお仕事される方、この意味をじっくりと考えてお仕事していただきたいと思います。

あ、ちなみに、よく「社長様」とか「部長様」とかいう表現を見聞きしますが、「社長」とか「部長」とかにもともと敬称の意味が含まれていますので、これに「様」を付けることはNGです。

もう一つ「様」からみの小ネタ。
江戸時代初めにジョアン・ツズ・ロドリゲスが著した「ロドリゲス日本大文典」の中で、「殿」、「様」、「公」、「老」の順位付けを行っています。
それによると「様」、「公」、「殿」、「老」の順番だったそうです。
ここでもやっぱり「様」は一番偉いです。
今でもよく「様」と「殿」どっちが上、とか聞かれますが、「日本国語大辞典」では、「官庁などの公の場で用いるほか、書面などでの形式的なもの、または下位の者への軽い敬称として用いる」とありますので、やっぱり「様」の方が上ということになります。

これだけえらい「様」がつく職業の皆さん、責任は重大です。

第87回日本産業衛生学会総会 in 岡山

5月22日から岡山で開催されている「第87回日本産業衛生学会総会」に参加してきました。

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うちの会社がブースを出展しているので、そのお世話係として赴いてましたが、合間見ていくつかのセッションに参加してきました。
まぁ、なかなか興味深いセッションもあったのですが、やはり医師向けのセッションは専門性が高く、ハードルが高かったです。
でも、多くのセッションは産業保健に関して、専門的ではあるけれど、わかりやすい内容で、けっこうためになりました。
その中で最後に建物内禁煙に取り組む某超大企業の取り組みを上げていましたが、そのセッションを主催していたのが、禁煙推進額実ネットワークというところで、毎日22日を「禁煙の日」としようと提言しています。
そのシンボルマークが以下のマークです。

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なんで、毎月22日なのか?
年に1回ではあまりに間が空きすぎて、禁煙の意識が薄れてしまう。大体1年に1回くらい禁煙してもしかたないだろう、ということで、せめて月に1日は禁煙の日があってもいいじゃないか、ということです。
では、なぜ、22の数字が白鳥なのか?
これは形から来ているだけではなく、
「スワン(白鳥)、スワン(白鳥)」 = 「吸わん、吸わん」
から来ているとのことでした。
まぁ、ダジャレではありますが、よくできてる方じゃないでしょうか。


私は禁煙して25年になります。
かつては1日にショートピース(両切り)1缶(50本入り)かマールボロ2箱(40本)は絶対吸っているというヘビースモーカーでした。
なんでやめたか、どうやってやめたか、はまた別の機会としますが、病気や薬でやめたのではなく、自分の意志でやめました。
えらそーに言ってますが、あまり苦労ではなかったです。

でも、今、歩きながらタバコ吸っている人見ると本当に腹が立ちます。
自分がやめたからなおさらかもしれませんが、

あんな煙を体に入れていいわけないだろう!
周りの迷惑を考えろ!
タバコ吸ってエレベーターにのってくんじゃねぇよ!
お前が病気になったらその治療費誰が払うとおもってんだ!


てな感じです。
今私がいる大阪の本町はすごく喫煙率が高いです。
食べるところやカフェでも喫煙OKがすごく多い。
すぐそばで吸われたら本当にメシがまずくなります。
まぁ、人間の質が違うのかなぁ、と考えたりします。

東京でも博労町あたりは喫煙率高いですが、ここ本町ほどではないように思います。

で、実際のセッションなのですが、大企業が社員の健康管理の一環として禁煙を推し進めることはよくある話なのですが、正直言って、なんで、こんなことであそこまで(って聞いてない人にはわからないと思いますが)努力が必要なのかわからない人も多いと思います。
要は、会社が
建物内全面喫煙禁止
って言えばいいだけの話なんです。
今のご時世、どこでも禁煙が当たり前で、公共の場ではタバコ吸っちゃいけないわけですから、なんで、それを従業員、しかも、喫煙して、労働時間を無駄に使ったり、健康管理できずにいる一部の従業員に遠慮して強い態度に出れないのか不思議で仕方ありません。
何か喫煙禁止命令だせない理由でもあるのでしょうか?労働組合だって、喫煙が労働者の権利だ!なんて騒がないでしょう。そんなこと言う労働組合って聞いたことないし、それは単なるわがまま組合です。
喫煙が大きな害悪であることはわかっているはずなのだから、禁煙に反対するということは、組合員の健康を無視していることになり、組合活動としても問題です。
もっと、強い態度で出ても、一向に構わないと思います。

タバコは百害あって、破たん大赤字です。

プライドチキン

ここんとこ固い重い記事が多いので、今日は思いきり軽く

表題は誤字ではありません。

「プライドチキン」

です。
「フライドチキン」ではありません。
テレビなんかにも出ている美人医師の友利新(ともり あらた)先生のお姉さんが友利先生を評して作った造語なんだそうです。
で、その意味はというと、
「本当は臆病で怖がりな癖に、いろいろ経験積んできてるし、学歴も高いので年々プライドだけが積み重なっていく」女性で主にアラサーの女性のことだそうです。
傷つくことが怖くて何にもできないくせにプライドだけがやたら高くて、恋愛もうまくいかない30代の女性って意味らしいです。
学歴もあるし、自分を磨くのに(姿も知性も)かなり根性入れてるし、でも、なにかアクションを起こして失敗したら怖い、だけど今更安売りなんてできない、という思いに苦悩しているのだとか。
そして、こういったプラチキ女子を周りはどうみてるか、というと・・

・上から目線で物をいうので付き合いづらい
・人の男に対して平気で難癖つける
・男への評価基準が異様に厳しく、自分の基準に達していない男は人間扱いすらしない。
・仕事はできるが、指示されるのが嫌いで、指示や指摘を批判ととって、ふてくされるか泣き出す。
・プライドが高いので仕事を選ぶ傾向があり、何をさせるにしても気を使い、使いづらい。
・やたらブランド物で固めたがり、自意識過剰。


てな感じだそうです。

でも、プライドチキンなんてうまいこと言ったもんですね。
その、本家本元の友利先生はあっさりと結婚されて脱プライドチキンなんだそうです。

でも、周りを見てたら、こういう人ってけっこういるように思います。
うーん、そういえば前の会社でも思い当たる・・・・・

セクハラに関して思うこと 3

セクハラに関して今回は私の考えを述べます。
けっこう長くなってしまいました。

アメリカにおいて1986年に合衆国最高裁判所がヴィンソン対メリター・セービングス・バンクの裁判で初めて、セクハラ行為が人権法に違反する性差別であると認められました。それが後に日本にも伝わってくるのですが、実はこの事件ですが、内容を調べると訴えられている上司は無茶苦茶です。部下は自分の所有物くらいにか思っていません。当時の風潮も多かれ少なかれ似たようなものであったと思います。
よくぞ、この判決を下してくれたとエールを送りたい気持ちです。
(この判決に関して精神科医の中嶋聡氏は著書「『心の傷』は言ったもん勝ち」の中でこの判決の「同意があっても嫌だと思ったらダメ」という考えに危惧されていますが、実際にはそういった判決ではないと思います)

あまり認識されていないようなのですが、アメリカは元々すごい男尊女卑の国でした。男尊女卑というのは語弊がありますから、「女性をものとして大切にする」国でした。そのため、女性はこうあるべきといったフレームワークががっしりと出来上がっており、女性はその枠を外れることは許されませんでした。しかし、これは男が偉いとか、そういった意識ではなく、あの未開の荒野を切り開いていく中、元々女性が少なかった上に、決して安全とは言えない環境でしたから、貴重な女性を守るという意味では必要な措置ではあったと思います。しかし、じょじょに社会が安定してくるにつけそういったフレームワークが一部の女性にとっては息苦しく感じられるものになって行きました。そして、固く作り上げられたフレームワークを打ち壊していく動きが盛んになってきて、それが今のアメリカなのです。
セクハラ対策も女性の人間としての尊厳を守るという意味では絶対に必要です。男は何かというとすぐにつけあがる生き物です。しかし、そういった思い込みが男を動かす原動力になっているのも事実です。
もちろん、男の「都合のいい鈍感さ」がセクハラを助長し正当化してきたという事実は変えられないでしょう。
しかし、セクハラ=女性の権利というような思考に暴走してしまうと、却って女性の社会的立場を弱めてしまうような気がします
事実、左記の記事の「上司達」は事件以降、女性社員対して不信感を持つようになり、結局女性社員全体に対する評価を下げてしまっています。
それとこれとは違うだろう、それこそ立場を利用したパワハラだ、と叫ぶのは簡単です。
しかし、「上司」達の中には、心からダイバシティの考え方に共感し、なんとか女性社員の地位向上に努めようとがんばっていた人たちも数多くいます。
しかし、もし、この「セクハラ権(剣)」を一度でもふりかざされてしまったら、裏切られた気持ちにもなるでしょうし、女性社員に対して腫れ物に触るような態度を取らざるを得なくなってしまうでしょう。
その事から積極的に女性社員と関わることができなくなり、責任ある仕事を任せる機会も減り、その結果評価が下がってしまうということになってしまう、ということにもなりかねません。

確かに、セクハラは許されるものではありませんし、男の一部にはいまだに女性を性の対象としか見ない男もいます。
しかし、今の風潮を見ていると、「嫌な男=いるだけでセクハラ」、といった図式ができてしまいそうで私は強い危惧を感じています。
女性が社会に進出し、生きやすい社会を作ることは素晴らしいことだと思います。
というか、今の時代、女性の力が無ければ社会が動かなくなっています。女性の貢献度と女性への期待度はかなり高くなっていると思います。
しかし、その一方で女性には社会的な責任も発生します。
今のセクハラ問題で思うのは、自分の責任を回避し、自分の権利を主張するための道具としてセクハラを使っている人も居る、ということです。しかも、それを自分で意識しておらず、常に被害者意識で動いている、そういう人が目立ってきています。
中にはすごく計算ずくで動いている人もいます。
しかし、考えてみてください。結局、そういった行為は男性の女性に対する不信感を増長させることになりますし、女性を一歩離れて見るようになります。
これがいい結果を生むはずがありません。
女性の方はこう言うと怒るかもしれませんが、所詮この世には男と女しかいないのです。
お互い嫌だと思いつつもどこかで折り合いをつけていかなければいけないのです。
嫌なことを我慢しろと言っているのではありません、なんでもかんでもセクハラに結び付けて、セクハラを権利のようにふりかざしすのはいかがなものか、と言っているのです。
自分の主張を押し付けるような行為は見ていて少々見苦しいものがあります。
もちろんご本人には真剣な話かと思いますが、そこまでやらなくても、全く折り合いのつかないことばかりでは無いようにも思えます。
ひどくこじれている問題にしても、私には初期の段階できちんと対応していれば解決の道もあったろうに、それをしくじってしまい、問題を複雑化させてしまっているように思えるものも多いです。
しかも、そういった事案は得てして最初の問題から論点が大きくずれてしまっています。
これでは泥沼の争いが続くだけで、物事の根本的な解決には向きません。不毛な争いに終始してしまいます。
セクハラの問題は早期対応が絶対に必要です。そしてお互いの話をしっかりきくこと、そしてその裏付けをきちんと取ることが大切です。

ナイジェリアの少女拉致に関するニュースを見て改めて「男と女」について考えさせられました。

P.S.
私は思っています。いずれこの世から「男」はいなくなります。擦り切れたY染色体がそれを表しています。
「男」は所詮「かりそめの客」なのです。

セクハラに関して思うこと 2

前の記事で知り合いから聞いたセクハラの話を書きました。
今回は私自身の経験談です。

一つはまだ、私が情報システム部にいたころの話です。
その頃はまだセクハラという言葉もなくて、けっこういい意味でおおらかな時代でした。
そんなある日、一人のオペレーターの女子社員が係長のところに訴えてきました。
「同僚のTさん(男性)が毎朝、『がんばろうっ!』て言って、私の肩をさわってくるんです。これがいやでいやで、その日一日そのことが頭から離れなくて仕事が手につかなくなるんです。」
とのこと。
私は当時社労士を取ったばかりでしたが、衛生管理者もやっていたので係長から、この件の担当を命ぜられました。
あまり気が進みませんでしたが、色々とまわりに聴取するなど、事実確認すると、確かにTさんは必ずと言っていいほど女性の同僚の肩をたたいて回っています。
しかも、やっている対象が女性に限られていること、肩を「たたいている」のではなく、肩を「もんでいる」ことが判明しました。
私は、そのことを上長にそのまま報告しました。
でも、その時は正直な話、「なんでこの程度のことでぎゃーぎゃーいうんだ」という思いの方が強かったです。
事実、話を聞いた他の女性社員はあまりいやだとまでは思っていない、という意見でしたし。
その後、Tさんは次長に呼び出されて聴取され、特に何かを意識しているわけではなく、あくまでも「挨拶」のつもりだったという主張を繰り返したとの事ですが、やはり、不快に思っている社員がいて、その結果その社員のパフォーマンスが落ちているというのであれば会社としても指導をしなくてはならない、ということで「叱責」となりました。
Tさんは思い切り納得がいかない、という感じでしたが、その後は「肩たたき」をしないようになりました。
これで、とりあえず問題解決したわけですが・・・
申し立てた女子社員はどうなったかというと・・・
対処後も彼女のパフォーマンスは上がることなく、挙句は仕事中に居眠りするなどの体たらく。
結局Tさんの件は自分のパフォーマンスが低いことへの、体のいい言い訳でしかなかったわけです。
あまり後味のいい事件ではありませんでした。

もう一つ上げておきます。
これは私が人事課長になってすぐのことです。
ある部署の女性社員からセクハラに関する相談が来ました。
話を聞いてみると、同僚のある男性社員から言葉のセクハラを受けているとの事。
「お前なんか女じゃない」そう言われたとの事です。
それだけですか?他に何か言われていませんか?と聞いても、この一言だけでした。
しかし、そのあと。
「この一言だけじゃ人事は何もしてくれないんですか?」
「私がこの一言にどれだけ傷ついたと思ってるんですか?」
「私は生まれてこのかた、こんなこと言われたことないです」
「私の全人格が否定されたんですよ」
・・・(その他たくさん)
すごい言葉のシャワーを浴びせられ、いい加減へとへとになりました。
まぁ、それでも調査はしなくてはいけません。
ここは、ダイレクトにその同僚の男性社員に確認を取りました。
(もちろん彼らの上長も参加の上です)
聞いてみると、彼はうんざりした顔で、
「確かに言いましたよ、飲み会の席で、あまりに暗い顔して座ってるんで、ちょっとからかってやろうと思って、そんな意味のことを言ったんですよ。そしたらものすごい形相で、『お前こそ男じゃない』とか『ぶっ殺してやる』とか、ものすごい、ここでは言えないような言葉で延々攻撃してくるんです。せっかくの飲み会が思い切り白けてしまうし、彼女の罵詈雑言はとんでもなく声が大きいうえに、すごい内容ですからね。周りのお客さんからも非難ごうごうですよ。とうとうお店からもいい加減にしてくれって言われるし、それでもお店出てからもずっとわめきっぱなしなんですよ。自分がどんな思いしたかわかりますか?」
との事。
先ほどの彼女の態度を見てなんとなく納得感がありました。
上司に確認しても、彼の言う事の方が正しいという事でしたし、彼女のすごさは部全体でも有名だったらしいです。
しかし、人事としてはやはりそれはそれとして、決着をつけなければいけません。
本人はすごく不満だったかと思いますが、上司の説得もあって、申立者に謝罪してもらいました。
それでも彼女は不満たらたらで、「自分の踏みにじられた人生を返せ」だとか、新聞に謝罪文を載せろとか、もうむちゃくちゃです。
上司が必至で説得して何とかことは収まりましたが、納得いかなかったのは彼だけではありません。
私も含めて回り全部が納得がいかなかったかと思います。
しかし、「セクハラ」という一言のために「言ったもの勝ち」になってしまっています。
今回の本当の「被害者」はいったい誰だったのかを考えさせられる事件でした。
ここでは、私は特に何もいいませんが、こういう事例もあったという事だけお伝えします。

また、長くなったので自分の考えなどは次の記事に書きます。

セクハラに関して思うこと

先日前の会社の時の知り合いとあい、セクハラに関しての話が出ました。
それに関して私が思うところを書きたいと思います。

その友人の話ですが、つい最近のこと。彼(彼はその会社の人事課長です)のところにセクハラの訴えが来ました。
すぐに本人とコンタクトを取り話を聞いたそうなのですが・・・

「先日の懇親会で課長が私の体にさわってくるんです」
「で、どんな感じで?」
「それはもういやらしい目で私のことを上から下までなめるように見ていてそして・・・(以下長くなるので省略)」
「それであなたはどうしたの?」
「やめてくださいとも言えず、じっと我慢してました、そしたら・・・(以下内容にはばかりがあるので省略)」

てな感じで(どんな感じかよくわからないと思いますが・・)話は延々と続き、結局その懇親会のことだけでなく、普段の上司の対応も含めてセクハラをされていると訴えてきたそうです。
しかし、本人の話だけで結論は出せませんので、その上司に状況を確認したところ、そんな事実はない、との事。
本人もとぼけている雰囲気はないので他の女性社員にもこっそりと話を聞いたところ・・・

「そういえば課長(その上司)はあの子の前に座っていたし、課長はお酒が入ると目が座ってくるからなんか目つき変わるんですよね。それがいやらしいといえばいやらしいかな」
「彼女の後ろに行ってさわったりはしてた?」
「そんなはずないでしょ。ずっとテーブルはさんで前に座ってたんだから。場所なんか一度も動いてないですよ。あれでさわるなんて、どんなに手足が長くたって無理。それにあのこ、隣に座っていたA君とずっと楽しそうに話していて、課長となんてほとんど口もきいてなかったでですよ。」
「課長は女子に対して普段からさわったり、変なことしてない?」
「そんなことはないと思うけどなぁ。そんな雰囲気も感じたことないですよ。課長けっこうストイックだから。まぁ、あの課長調子がいい時は、どう、元気してる?って感じで肩をたたいて回ったりするから、それくらいだったらあるかな」
「それは女性だけ?」
「いいえ、男女問わず。課長は体ゴツイじゃないですか。だから軽くたたかれてもけっこういたいんですよね。新人だったら最初はショック受けるかも。いきなりがーんってくるから。でも、彼女に特に何かしてたっていうのはないと思いますよ。」

ということだったそうです。
本人にも、別の男性社員に聞いても似たような返事だったとのことです。
まぁ、結局友人はその上司に対して、今回は特に何か指摘するということはしないが、今後は誤解されるような行いはできるだけ避けること。特に女性社員に対しては注意を払って行動、発言をすること、と伝えました。
その友人はそれでもきついかなと感じてたそうです。その上司としては事実はどうあれ、「セクハラ上司」という烙印を押されてしまったようなものです。
いくら人事がこっそりと動いても、こういったうわさはすぐに広まってしまいます。しかも、悪いことに「いい話」っていうのはなかなか伝わらなくて、「悪い話」だけがずっと居座るものです。ある意味被害者はどっちなんだろうと考えたよ、と、その友人はぼそっとつぶやきました。
一方訴えてきた女性に今回の対応を伝えると、
「なんであんな奴が会社にいられるんですか?すぐに首にしてください」
とすごい剣幕だったそうです。
しかし、会社としてはやることはやったし、事実確認も間違いない。だからこれ以上の対応はできない、ときっぱりと突っぱねたそうです。
これは会社の顧問弁護士にも事前に相談していた対応です。
すると、彼女は、
「だったら監督署に訴えます」
といきり立ってしまい、そのまま席を立ってしまったそうです。
まぁ彼としては特にこれ以上対応はできないとわかっていましたので放っておきました。
すると2週間ほどして労働局の雇用均等室から連絡があり、セクシャルハラスメントに関する相談があったため報告書を出してほしいとのこと。
立ち入り調査ではなく報告書の提示だったのでまだ簡単でしたが、面倒なことには違いありません。
彼女の方にこれといった証拠もなく、話に矛盾点もいくつかあったため担当官としても疑問点を持ったのでしょう。しかし、かといって相談に来ているわけですから何もしないわけにはいかないため、会社に報告書を求めてきたのだと思います。
友人は弁護士とも相談して、会社が彼女に対してどのような対応をしたかを、面談の日時・内容も含めて詳細な報告書を作成し、提出したそうです。相当時間とエネルギーを使ったと言っていました。
結局雇用均等室からはそれ以降何も連絡はなかったそうですが・・・・
で、
その問題の彼女はどうしてるかというと・・・
全然前と変わりなく同じ部署で、同じ上司のもとで普通に働いているそうです。

俺には何が何だかわからんよ・・・いったいなんだったんだろ

彼の最後の感想です。
話を聞いていて私もまったく意味が分かりませんでした。
私はこの話を聞きながら、私自身の経験も思い出していました。
長くなってしまったので、今回はここまでとします。
続きは次の記事で。

こんなこと書いていいのか悩みますが・・

こんなこと書いていいのか悩みますが・・

企業のメンタルヘルス対策とか安全配慮義務とかいう話になると必ず出てくるのが、「富士通四国システムズ若年SEうつ病発症事件」です。
これは富士通四国システムズに勤務する若手SEがうつ病を発症した件に関して、過重な業務との間の因果関係を肯定したという、ある意味画期的な判決といえます。
しかし、こんなこと書いていいのか悩んだのですが・・・

なんで裁判官がうつ病の「診断」をしているのでしょう?

判決文を見ると、

「原告の症状は,ICD―10の重症うつ病エピソードに明確に該当するものであるとまではいえないものの,少なくとも中等症うつ病エピソードの条件を充足しているということができる」

とあります。
これは、誰が判断したのか、というと、実は裁判官が認定しています。
主治医をはじめとする専門家達の判断、診断が微妙にずれています。そのずれを調整するかのように、「医師ではない裁判官」が最終認定を行っています。しかも、一部ですが、専門家たる医師が下した診断を、「医師ではない裁判官」が退けている部分もあります。
私はこの事例を初めて知った時に、専門家たる精神科医の人たちの診断結果はそれほどずれていないはずと、思っていました。
少なくとも、ここまでの判決が出る以上、重うつ症なんだろうな、とぼんやり考えていまいた。
しかし、判決文をよく読んでみると、最終「診断」を下したのは裁判官でした。

複数の専門家たる精神科の意見を聴取して、もっとも合理性の高い診断を採択するというのならわかりますが、この判決文を読む限り、裁判官自身が操作的診断基準の一つであるICD-10を基に認定作業を行っています。
何度もいいます。
「医師ではない」裁判官が「うつ病」の認定をしています。
これはおかしいです。

これに関しては三國雅彦精神科医が
「裁判官でも診断できるDSM-Ⅳなどの操作的診断」
という文書を発表していますので、興味ある方はインターネットで検索してみれば見つかると思いますので検索してみてください。
しかし、こういった文書が出ること自体が、裁判官のうつ病認定に関して危惧されている証拠だと思います。
そして、一方では精神病に関しての診断がいかに難しいものであるかの証左でもあろうかと思います。
(もしかしたら裁判官は精神科医を信頼していないのでは?と疑いたくなります)

それと、この事件は企業の安全配慮義務強化に非常に大きな影響を与えた事例ではあります。
その点ではすごく評価できる判決であったと思います。

ただ、
ただ、もう一つ納得がいかないところがあります。


判決文をじっくり読むと、一概に「会社が悪い!」と叫ぶことはできないんですね。
私としては。
といいますのも、ご本人は休職中もブログで会社に対して言いたい放題ですし、復職していても、平気で遅刻してきますし、それに対して上司が会社を休むように指示しても、
付き合ってる女性と昼食を食べるのが楽しみなので会社は休まない
と言ってみたり、
特に仕事もないのに終業時刻過ぎても会社にいるので、これも上司が早く帰るように指示したら、
付き合ってる女性がまだ仕事が終わらないので帰らない
と言ったり、
とにかく、この女性と一緒にいたいがために、無理な出勤や残業をしたりしています。

これって、許されることなんでしょうか?
ガキじゃないですか?
こんなガキを面倒見ることまで会社やんなきゃいけないんでしょうか?

正直な話、すごーく、割り切れない思いが強い案件です。
最近何かと話題の「新型うつ」の格好の例かもしれません。

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障害者雇用促進法改正のこと

先日「精神障害者保健福祉手帳」の話を書きました。
今回はその続き。

障害者雇用促進法が改正され、「精神障害者」の定義が変わったことはお伝えしたと思います。
その中で、「精神障害者保健福祉手帳」の交付を受けている者と、医師の判断によって統合失調症やうつ病患者で、症状が安定し、就労が可能な人、が精神障害者であると書きました。
この2つの区分にはいくつか扱いの差があって、厳密に同じレベルで考えるわけにはいきません。
でも後者の人であれば「精神障害者保健福祉手帳」の交付申請は恐らく可能でしょう。
「精神障害者保健福祉手帳」を持てばその等級に限らず、なんらかのサービスを受けることができるので、その取得を進められる場面も今後増えてきそうな気がします。
でも、手帳を持とうが持つまいが、「精神障害者」の条件を満たしている場合、復職の扱いをどうするのか、という点で、私は疑問をもっています。

本来であれば、復職時の判断として、本人の意志・上司の意見・主治医の診断書・産業医の意見等を聞くなどして、総合的に会社が復職可否の最終判断を行います。
ここで忘れてはならないのは、「復職」は原則として治癒して通常業務に戻れることを前提にしているということです。
したがって復帰当初こそ、短時間労働であるとか、一部就業の制限とかが設けられますが、会社としてはいずれは完全に元の状態に戻ることを期待しています。
しかし、どうも、障害者雇用促進法を見ると、それが怪しくなってきます。
というのも、この法律が「障害者」のための「雇用促進」の法律であることから、ここでの「雇用」には健常者と同等のパフォーマンスを期待することはそもそも無理があることを明確にしているからです。それは法5条を見ればわかります。

第5条 すべて事業主は、障害者の雇用に関し、社会連帯の理念に基づき、障害者である労働者が有為な職業人として自立しようとする努力に対して協力する責務を有するものであつて、その有する能力を正当に評価し、適当な雇用の場を与えるとともに適正な雇用管理を行うことによりその雇用の安定を図るように努めなければならない。

要は「障害者」なのだから、会社は、その障害の程度や能力に応じて雇用環境を整備しなさい、と言っているわけです。
極端な話、うつ病で休職している人が復職希望を出してきたとき、先の「精神障害者保健福祉手帳」を取得していたり、主治医の診断書に、たとえ条件付であろうと、「症状が安定しており、一部制限はあるものの就労は可能」とでも書かれてしまうと、もう、この障害者雇用促進法の規定では、その能力(回復状態)に応じて就労環境を整備し、復職させなければいけない、ということになります。もちろん「解雇」や「退職勧奨」などはもってのほかです。
これでは、これまで社内で整備してきたメンタルヘルス不調者対応を大きく変える必要が出てきてしまいます。
復職を会社が認めなければ、ここを突いてくるひとも出てくるかもしれません。
確かに、法では、その対応が事業主にとってあまりに過大な負担である場合はこの限りにあらず、という事を謳っているようですが、何をもって「過大な負担」というのかなどはまだ全く明確になっていません。
体力のある大企業ならまだしも(大企業といっても社内のバジェットはかなり切り詰められていて厳しいところでしょうが)、資金も人員も少ない中小企業では対応に苦慮することになりそうです。

間違えてもらっては困るのですが、私は障害者雇用促進法がいけない、と言っているのではありません。
法律の運用をもう少し明確にしてもらいたいといっているのです。
このままではおそらく自分の都合のいいような解釈で動く人もきっと出てきます。また、そうしたところに「利権」を嗅ぎ取り、すり寄ってくる人たちもきっといます。
この法律は本当に働きたい、社会に出たい、でも、なかなかそうはいかない、という障害者の方々の切実な思いが込められている法律です。それだけに行政は運用基準をしっかりと示して、悪意ある一部の人間のせいで、本来の助けが必要な人たちまでが悪しざまに思われるのを防ぐ努力をしてもらいたいと思います。
法律を作ったり、変えたりすることは簡単です(まぁ、そうでないというかもしれませんが・・)、でも、作りっぱなしではなく、作った後の運用もしっかりとフォローしていってほしいものです。
法とはそれほど重いものです。

テーマ:独り言 - ジャンル:日記

知らない私

知らない私
これは知り合いの精神科医から、つい最近聞いた話です。
最近精神科に「知らない私」の相談に訪れる人がポチポチ増えているそうです。
精神科医の中でも最近噂になっているらしいのですが、「知らない私」がいる人が増えてきているようなのです。
一体、どういうことかというと・・・

「死にたいわけじゃないのに自分が知らない間に手首を切ってるんです」
「ダイエットしなきゃいけないのに、知らないうちに食べまくってるんです」
「仕事しなきゃいけないのに、知らない間に会社の外でぼーっとしてる自分がいるんです」

っていったいなんなんでしょ?てな感じの相談者がけっこう増えてきているらしいのです。

「自分は死にたいなんて思ってないのに、死にたいと考えてる自分がどこかにいるらしくて、自分が気が付いたら剃刀を手首にあててたんです」

笑い事じゃないですよね。
要するに、自分が知らない自分がどこかにいて、ふっと気を許し(?)たら、その「知らない自分」が勝手に行動してるんです。
ってことのようです。
これは病気としたならば、「人格乖離」というらしいです。(ちなみに「解離性同一性障害」となればいわゆる「多重人格」を意味します)
これは、要するに心の中に二つの相反する思いが存在して、それが激しくせめぎ合っていることから生ずることのようです。
すなわち「死にたい自分」と「死にたくない自分」が心の中で激しく葛藤しており、本来であれば「死にたくない自分」が競り勝っているにもかかわらず、何等かのはずみで「死にたい自分」が表に出てきてしまい、行動する、ということのようです。
主にカウンセリングで対応しますが、なかなかやっかいな「病気」らしいです。
それが最近になって急に増えてきているそうです。
原因はまだはっきりとはわかっていないようですが、最近の「新型うつ症状」と関連があるのかもしれません。
ただ先生は言っていましたが、単純に自分の行動に対する責任を回避するために「無意識」に「知らない自分」を作り上げている場合もあるだろう、との事でした。
どちらにしても困った症状がまた一つ増えてきそうです。

精神障害者保健福祉手帳ってごぞんじですか?

「精神障害者保健福祉手帳」ってご存知でしょうか?
障害者手帳ってのはよく聞きますが、この「精神障害者保健福祉手帳」ってのはあまり聞いたことがないと思います。
「精神障害者保健福祉手帳」とは、精神疾患を有する方のうち、精神障害のため長期にわたり日常生活又は社会生活への制約がある方を対象とし、各方面の協力により各種の支援策が講じられることを促進し、精神障害者の自立と社会参加の促進を図ることを目的として交付されるもので、障害者手帳とほぼ同等のものになり、1級から3級までの区分があります。基本的に医師の診断書と申請書があれば申請できます。申請後審査に通れば手帳が交付されることになり、租税の減額や交通機関の割引など各種のサービスを受けることができます(ただし、初診後6か月以上経過していることが必要)。
この「精神障害者保健福祉手帳」がちょっとばかし、今後の企業のメンタルヘルス体制に影響を与える可能性があります。
と、いいますのは、「障害者雇用促進法」において、平成18年4月1日から障害者雇用率算定の際に分子に加算してもよくなっています。それが平成30年4月1日からは雇用義務が発生します。
あまり意識されていないようですが、これは企業にとっては大きな問題です。

精神的障害者の定義は以下のように定義されています。

次に掲げる者であって、症状が安定し、就労が可能な状態にある者。
1) 精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている者(精神保健福祉法第45条第2項)
2) 統合失調症、そううつ病又はてんかんにかかっている者
以上が法令、省令による「精神障害者」の定義になりますが、省令の2)に関しては、医師の診断書、意見書等により確認を行う、ということになっています。。


すなわち、統合失調症やうつ病患者で、症状が安定し、就労が可能な人は「精神障害者」と判断されることになります。
すると、社内のメンタルヘルス対応も変えていかざるを得ないことになります。
おいおい、この問題に関しては書いていくつもりですが、意外と人事担当者や産業保健関係者に意識されていないなぁ、というのが私の実感です。
プロフィール

気まぐれ社労士 

Author:気まぐれ社労士 
企業では安全配慮義務や労務管理、人事制度・諸規定など課題はたくさんありますが、今の企業では「疲れ」への対策がすごく重要です。少しでも人事関連で疑問やお困りのことがあればご連絡ください。きっと解決策が見つかります!





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