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「メンヘラ」ってご存知ですか?

「メンヘラ」ってご存知でしょうか?
よくあるネットスラングのひとつなんですが、最近「メンヘラ」を自称する、特に若い女性が増えてきているのだとか。
「メンヘラ」っていうのは直訳(?)すると、
2ちゃんねるなどのメンタルヘルス板とかに出没する人間の事
なんですが、そこから派生して、
・とにかく誰かからかまってほしい
・自分が一番大事
・自分が愛されることが最大の関心事で、自分以外はどうなっても無関心

といった「自己愛」の塊のような人間を意味します。

いますよね。
こういう人って。

実際、自分から「私はメンヘラです」って宣言しちゃう女子が増えてきているそうで、心療内科などの精神科クリニックにもこういった患者が増えているんだそうです。
どうも、精神科的な判断から言うと、この「メンヘラ」は人格障害にあたるそうで、言ってみれば、社会適応能力が異常に低い人ってことになります。
しかし、この社会適応能力ってのも、その社会によって違うし、文化によっても違うでしょうから、一概に「メンヘラ」が精神疾患であるとはいえないかもしれません。

でも、私が不思議に思うのは、なぜ、「自分はメンヘラ」であると宣言する、というか決めつけてしまうのでしょう?
そこにはどんな心理が働いているのでしょう?
「自分は自己愛の塊だから、私を愛してくれないと死んじゃうかもよ」
とか、
「自分は自分が一番大切なの、だから、他の人がどうなろうと私の知ったことじゃないの」
なんて、言っているようなもんです。
こんなこと公表したって、何もいいことないと思うのですが・・・
私には理解不能です。

最近の若い人の考えについていけなくなってきたのは私の年齢のせいなのかもしれませんが・・・

ちなみに、「メンヘラ」の反対語(?)は「ヤンデレ」らしいです。
こちらは特定の人に一途なひとで、その人のこと以外は自分も含めてどうでもいい、という人なんだそうです。


だんだん、ネットスラングにもついていけなくなりそうです。

コストカットは蜜の味?

USJで新しいアトラクションエリア、ハリーポッターのエリア(ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター)が公開されかなりの人気を博しているようです。
USJもお役人が社長をしている間は全然ぱっとしませんでしたし、閉館の危機も迎えていました。しかし、現社長であるグレン・ガンベル氏が社長についてから、急速な業績回復を見せています。
いかに、お役人が経営者として使えないか、ってことが実証された好例です。
(ちなみに第三セクター方式などでお役人が経営層に座っている企業は多くが破たんしています。)
ところで、このUSJでは基本的に正社員は募集していません。
新卒採用であっても7年を上限とした1年更新の契約社員になります。
言ってみれば、この7年間で実績を上げたものだけが正社員登用の道がある、ということになります。
まぁ、この是非は別にして、新卒で7年で正社員になれなかったり、特例延長を受けなかったりしたら、USJを去ることになります。
なかなか、厳しい制度です。しかし、USJの肩を持つわけではありませんが、入社時からその条件を提示されているし、このシステムは結構厳格に運用されているようで、あまり、労使間のトラブルを聞きません(実はいっぱいあったりして・・)。

しかし、テーマ―パークの大御所たる、ディ**ー**ートを経営するオリ**タル**ドでは、ブラック企業の批判パンパンです。
スタッフはキャストと呼ばれるのですが、とにかくその過重労働ぶりは有名。夢を売る会社が労働者の夢を食ってどうするんだ?と言いたくなる無法状態です。
私は昔はこのリゾートがすごーーく大好きで、大阪にいながらの高率リピーターでした。
しかし、東京に住んでいる間、何度か行きましたが、昔ほどの感動は受けなくなったことに気が付きました。
最初は自分も年を取ったからと考えていましたが、よーーーーく考えてみると、
・全体的に混みすぎ(アトラクションで並ぶ時間が増えているが、待ってる時間を楽しませる工夫がなくなってる)
・せこくなった。(レストランなどでも記念品とかもらえていたのがもらえなくなったし、割引などもなくなった)
・従業員(キャスト)の目が死んでる。(これは特に清掃担当、ファンカストーディアルの動きが思い切り鈍くなってるし、感動しなくなってる)
等々です。
とにかく入場者を入れすぎなんです。だから並んだ記憶しかないって人も出てくるわけです。
こういった声は当然キャスト自身からも出ていて、上も知っていなきゃいけません。
でも、上が興味あるのはコストだけ。
以下にコストを減らすか?っていうのが上層部の最大関心事。
これは長い景気のトンネルをくぐってくるうちに売上増加よりもコスト削減に注目が集まってしまったんですね。
ブラックと言われる企業ほど、こういった傾向が強いように思えます。

日本は長い不景気、特にリーマンショック後の深刻な不景気を経験してきました。
その不景気の中では売り上げを上げることは至難の業です。
しかし、経営者は利益を上げなくてはいけません。
経営層といえども雇われ人の立場ですから、成果を出さなくては首を切られてしまいます。
しかし、一方で、不況だからこそ、その中で利益を上げて株主に還元できれば、優秀な経営者であるとの評価を受け、高い報酬を望むことができます。
すると、売り上げが上がらない中、どうやって利益を上げるか?
それはコストカットしかありません。
確かに日本企業には昔からの悪しきも良しきも企業内に無駄を抱えてきました。だから、当初はそういった無駄をそぎ落としていくことで比較的容易にコストカットを実現することができました。
しかし、経営は継続していくものです。
不況が長引くにつれ、そのコストカットの原資は使い果たされていき、ついには「必要なもの」の削減にまで手を染め始めました。
上層部は自らの評価と報酬を手にするために、今度は従業員に対して犠牲を求め始めます。それも最初は非正規社員から始まり、今や正社員にまで及んでいます。
本当だったら、経営層の仕事は、自らの資源を有効に使い、売り上げをアップさせることです。
それが今や、自らの資源を切り取り利益に変換させる、ことが彼らの仕事になっています。
これでは会社がブラック化しないはずがありません。

無駄を省くことは悪いことではありません、しかし、今の状況はダイエットを超えて、タコが自分の足を食って生き延びているのと同じです。
足は8本あります。1本や2本なくなってもあまり影響はないかもしれません。
でも残りが4本や3本になってしまうと、動きづらくなりますし、それにより餌も取れなくなり、さらに飢えてしまいます。
そしてそのうちに死んでしまいます。

コストカットはある意味蜜の味です。
しかし、これはあくまでも一時しのぎにすぎず、本当に経営層がしなくてはいけないのは売り上げの増加です。
その基本を忘れているというか、易きに走ってしまっている経営層があまりに多いのが今の日本の悲劇なのかもしれません。

うーん、読みにくくて失礼!

すごい判決です。

大阪高裁(金子順一裁判長)は2014年7月17日、 旧農林漁業金融公庫(現在の日本政策金融公庫)に勤務 していた男性(当時38歳)の自殺の原因が業務にあるとしていた一審の大阪地裁の判決を破棄する判決を言い渡しました。
これはすごい判決です。
2013年3月6日、大阪地裁の判決(稲葉裁判長)では、転勤の引き継ぎや転勤後に担当案件が増えるなど、業務の心理的負荷でうつ病を発症した」と認定したうえで、
「公庫は男性が相当残業しても業務が遅れがちだったのを認識していたのに、健康状態が悪化しないような適切な措置をとらなかった」
と指摘して約8800万円の賠償を命じていました。

しかし、今回の判決では、金子裁判長は
「長時間労働が恒常的で業務が過重とは言えない」と因果関係を否定した上に、公庫側は本人の心身の不調を予測することも困難だった、
と指摘して、一審を破棄しました。

うーん、判決主文を読んでいないので何とも言えませんが、先日の東芝電気の最高裁判決とは真逆ともいえる判決ですし、ここのところの労働者側優位の判決の流れに見事に逆行する判決と言えます。
特に私が気になるのが、「公庫側は本人の心身の不調を予測することも困難だった」という点です。
これは本当にそうなのでしょうか?
もし、本当だとしても、それこそ先の最高裁判決での、「精神的な疾病に関しては重度のプライバシーが尊重されるべきであり、その疾病に関して会社側に申告しなかったからといって、会社側の安全配慮義務を免れるものではない」といった趣旨に真っ向から反対することになります。
さっそく、あちこちでこの判決に対する意見が巻き起こっているようですが、やはり疑問に感じている意見が多いように思います。

でも、私としてはもう一点気になるところがあります。
今回のうつ病の原因が業務に直接結びつかない、とまでは判決も言っていないかとは思います。しかし、重大な安全配慮義務違反まであった、とまでは言えない、という趣旨なのだろうと予測します(何しろ主文読んでないもので)。
とはいっても、安全配慮義務違反がない、と言い切る根拠は何なのでしょう?
何よりも、この男性の自殺に関しては2007年12月に(自殺したのは2005年5月)労災認定がなされています。これは第一審の判決前ですから、当然、この労災認定という事実が判決に影響を与えているのは間違いありません。
しかし、今回の高裁判決では、この点が完全に無視されています。もしくは、労災認定がなされ、法定給付が行われたということで、公社側の責任が免除されたと判断されたか、です。

しかし、この流れで、もし。この判決が確定したらどうなるのでしょう?
労災認定が取り消されてしまうということになるのでしょうか?
何しろ、うつ病の原因は業務ではない、と言い切られてしまっているわけですから、労災認定の根拠たる業務起因性が否定されてしまえば労災認定は誤り、ということになります。
もっと、言えば、裁判所が一度裁定を下した労働基準監督官の判断を誤りだった、と指摘しているとも取れます。
どうも、この点がすっきり来ません。

ただ、高等裁判所の裁判長ほどのお偉い、頭のいい方がこういう判断をしたということは、何らかの反証が公社側にあった、ということなのでしょう。
今後引き続き、この判決の行方は追っかけていきたいと思います。

まだまだ情報が不足しています。

過労死等防止推進法の成立

あまり報道されることもなく、なんとなくじみーに成立した感のある「過労死等防止推進法」。
労働安全衛生法改正案が成立する前、2014年6月20日に参院を通過して成立しました。
これって、どんな法律かというと、思い切り砕いて言うと、

過労死って良くないってことを国も国民も事業主もちゃんと理解して、起こさないように努力しようね。

って内容です。
まぁ内容はともかくとして、国が過労死に向き合ってちゃんと対策を打たなきゃいけないよ、って決めた(宣言した?)ことは評価してもいいかと思います。
(何をいまさらって意見もありますが・・)
具体的に何をするかっていうのは、これからもっと出てくるのだろうけど、法文の中で明確になっているのは、

・11月17日から23日までを過労死等問題啓発週間とする(勤労感謝の日があるから?)
・国の取るべき対応
 (1)過労死の実態の調査研究
 (2)教育、広報など国民への啓発
 (3)産業医の研修など相談体制の整備
 (4)民間団体への支援――を列挙
・過労死等防止基本計の策定


となっていて、国の取るべき対応については、自治体や事業主には対策に協力することが努力義務となっています。

こんな法律ができたからどうだってんだ?
てな疑問を持たれる方も多いと思います。
事業主にしても努力義務ですから特に法的拘束力があるわけではありません。
(「努力義務」に関しては2014-07-02の記事を参照ください)
この法律ができたからと言って、すぐに過労死がなくなる、とか、劣悪な労働環境が改善する、とかなんて起こるはずありません。
そういう法律だからこそ、注目を浴びることなく、こっそりと法案成立したのかもしれません。

しかし、

この法律ができたことで、過労死対策を国が責任を持って実施しなくてはならなくなりました。
国が過労死対策をやる、ということは、国が過労死の責任を負う可能性があるということです。
過労死で亡くなった方の遺族は国の責任を追及できる可能性が生まれました。
(もちろん、他に責任追及できる相手がいない場合ですが)
国がしっかりと対策をとっていなかったから過労死が起きたのだと・・
でも、国はそれを一番いやがります。

とにかく、国に責任はない、の一点張りで来ると思います。
そこで、出てくるのが、

第6条 事業主は、国及び地方公共団体が実施する過労死等を防止するための施策に協力するとともに、その雇用する労働者の健康の保持を図るため必要な措置を講ずるよう努めるものとする。

です。
さらっと書いていますが、労働契約法で定める安全配慮義務と同様のものがここでも明記されたことになります。
見事な国の責任の押し付けです。
国は委員会や協議会を開催したり、独立行政法人を使って適当に何か事業をやっていれば責任を逃れられることになります。
しかし、ただでさえ経営が苦しい企業でこの法律まで手が回るはずがありません。

過労死が発生した事業主は安全配慮義務で責められるだけでなく、この過労死等防止対策推進法の第6条でも責めを負うことになります。
事業主が遺族から訴えられた場合、安全配慮義務責任を果たしていたという事を抗弁するだけでなく、この過労死等防止対策推進法第6条の事業主の責任への説明責任も発生することになります。

あまり注目はされてはいませんが、事業主の果たすべき義務はこんなところでも増大し続けているという事を理解しておかないといけません。これもリスクマネジメントの一つです。
しかし、何よりも「過労死」を一事件として考えるのではなく、「悲劇」として向き合う姿勢が必要だと思います。
何度も書きますが、法律はその法文をどう解釈して対応するべきかを考える前に、なぜ、こういった法律ができたのか、という立法趣旨をしっかりと認識しておくことが重要です。


<お断り>
当初私はこの法律を「過労死等防止基本法」と記述していました、しかし正確には「過労死等防止推進法」でした。大変失礼いたしました。
最初、議員立法として「過労死等防止基本法」が185回国会に上程されましたが、時間切れで継続審議となっていました。その後、自民党の雇用問題研究会の「過労死等防止に関するワーキング・チーム」を中心として「推進法案」が取りまとめられ、上程されたため「基本法」は撤回されています。
そして、186回国会にて「過労死等防止推進法」が成立いたしました。
以上が簡単な法案成立の流れです。失礼いたしました。

不法行為責任と契約責任

不法行為責任と契約責任の違いに関して・・

最近、他の社労士の先生たちといろいろ話をしていて、なんとなく気が付いたことがあります。
また社労士の先生方だけでなく、企業の人事総務担当者にも同じ思いを感じたことがあります。
ちょっと長くなりますが・・・
何かというと、
もしかして・・・
不法行為責任と契約責任がごっちゃになっているのでは・・・ということです。
何が言いたいかというと、例えば、長時間労働でうつ病を発症したため損害賠償を請求する、といった場合です。
この場合、損害賠償の請求には二種類あるということです。

ひとつは、
民法709条「故意又は過失によって、他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」

民法715条第1項「1.ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。」

民法710条「他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。 に規定される、不法行為による損害賠償です。

もう一つは、
民法415条「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも、同様とする。」
の規定による債務不履行による契約責任の未達による損害賠償です。
この債務不履行は労働契約上の安全配慮義務を果たしていないことによる(債務の不履行)により生じる損害賠償責任になります。
なお、ご存じのとおり、以前はこの安全配慮義務は「信義則上の附随義務」として判例等では認められていました(最初に安全配慮義務を認めたのは1975年2月25日の最高裁判例とされています)が、2007年5月に成立した労働契約法において、その第5条に
「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」
と明文化されるに至っています。

どちらも同じ損害賠償責任には違いないのですが、その法律効果は大きく違います。
その差には種々の差があるのですが、主だったものを上げておきます。

1.立証責任
不法行為の場合は、故意や過失は被害者側が立証責任を負うことになります。
契約不履行の場合は、故意や過失は債務者側がその不存在について立証責任を負うことになります。
前の例でいうと、不法行為だと長時間労働とうつ病の因果関係は、その本人に立証義務がありますが、契約不履行の場合は、会社側が自分に責任がないことを証明しなくてはなりません。
労働者側にとっては契約責任の方が有利と言えます。


2.消滅時効
不法行為の場合は、「損害および加害者を知ったとき」から3年となります。
契約不履行の場合は10年となっています。
消滅時効の長さだけから見ると契約責任の方が有利になります。


3.遺族による請求
これは不法行為によるものにしか認められていません(民法711条)。
一方契約不履行に関しては遺族は「契約当事者」ではないので、遺族固有の権利としては認められていません。
よって、遺族が損害賠償を請求するには、不法行為責任によるものしかありません。


他にも遅延損害金の起算時期の違いなど、細かい差はあるのですが、大きなものとしてはこの3つかなと思います。
実際に損害賠償の請求が行われる場合は弁護士が代理人で行われるため、実際にこれらの差を社労士や人事担当者などが意識する必要は実務上ないのですが、損害賠償と一口で言っても単純ではないということは認識しておくべきです。
「法律は弱い者のためにあるのではなく、知っている人のためにある」と言われるように、法律の効果をきちんと把握しておくことは絶対に必要です。

法律を甘く見ることは絶対に慎むべきです。

精神科と心療内科と神経内科

精神科と心療内科と神経内科の違いは?
一般の人の間では意外にこの3つの区別があいまいです。
特に精神科と心療内科の区別がわからない、って声をけっこう耳にしますし、
話を聞いていて、それって「心療内科じゃないの?」とか思ったり、その逆を感じたりもします。
では、その違いとは、

精神科は心の症状を専門に扱います。いわゆる「精神疾患」てやつです。
具体的に言うと、不安、不眠、抑うつ、イライラ、幻覚・幻聴なんかです。心の症状を扱うので精神療法が主となり、これに薬物療法を組み合わせて治療します。これらの疾患は精神科が受け持ちます。

一方、心療内科というのは主に「心身症」を扱います。
「心身症」というのは、日本心身医学会の定義によると、
「身体疾患の中で、その発症や経過に心理社会的な因子が密接に関与し、器質的、ないし機能的障害が認められる病態をいう。ただし、神経症やうつ病など他の精神障害に伴う身体症状は除外する。」
だそうです。
よくわからないですが、なんかすごそうです。
まぁ、批判を承知で思い切り簡単に言ってしまうと、
「心の問題が体に及ぼす症状」
ちょっと、あまりに簡単すぎますが、間違いではないでしょう。
心理的な原因で体に何らかの症状(腹痛、頭痛、倦怠感等々)が出ているので、物理的な問題が見つからない状態になります。
どこも悪くないのにお腹が痛い、とかいうやつですね。
こういった場合は原因が心理的なものなので、いくら検査しても物理的に悪いところが見つかるはず有りません。まずは心理的な原因を突き止めて対応する必要があります。私の主観ではありますが、まずは症状を抑えるための対処療法と抗鬱剤のような処方の薬物治療が主となるように思えます。
体の病気症状があることから、神経内科に関しては精神科の医師だけではなく、内科医も取り扱うケースが非常に多いです。よく「内科・心療内科」と並べて科が書かれている看板も目にします。

「精神科」というのは当然、精神科の先生が担当されるのですが、開業される際などには「精神科」では患者も来づらいのでは、ということで、精神科であっても「心療内科」をあげているクリニックも多いようです。
まぁ、お医者様といえども客商売ですから、顧客志向は必要ですね。

ちなみに「神経内科」というのは、脳神経そのものを扱います。まさに文字通り「脳神経」を扱う科です。これは心という意味での神経ではなく、物理的な神経組織を意味します。
したがって、神経内科はほかの2つとは異なるものです。

セクハラ・パワハラ担当の本音

セクハラやパワハラの担当って本当にたいへんです
なぜ、大変かって?
それは、これらの問題は突然降ってきて、その多くが解決に手間と時間をとられるからです。
しかも、その内容がセンシブルで取り扱いが非常に難しい。

何しろ人事ってのはみんなが思っている以上に忙しい。
セクハラ・パワハラだけを扱う専任なんてのは昨今の事情からみてまず無理です(専任部隊おいた方が最終的には会社にとって利益になる、というのが私の持論ですが)。
すると、ただでさえ忙しい時に、突然問題が降ってくる。
これはけっこうきついです。正直な話、最初は、
「なんとか部署内で対応してくんないかな」
なんて思ったり、
「おいおい、そんなことでいちいち目くじらたてるなよぉ」とか、
「それって、普通だろ?どこがセクハラなんだ」とか、
「それくらいガマンしろよ、上司だって機嫌の悪い時もあるさ」
などなど考えたりしてます。
もちろん、こんなこと絶対に口には出せません。
実際に、持ち込まれる相談事の多くが、いちいち人事が介入して動くようなことか?と思いたくなるようなことが多いです。
それでも自分の役割ですし、何より本人は真剣です。
だから、そのまま放っておくことなんかできませんし、忙しい時間をぬって対応することになります。
しかし、これも相手があること。相手の都合でなかなか調査が進まなかったりしますし、面談しても相手にも相手の言い分があります。
実は、どんな小さなことであっても、この段階でできるだけ潰しておくことが絶対に重要です。
私の経験でも、ここでいい加減な対応で終わらしてしまうと、後で大事になって、却って大変な思いをすることになります。
いくら面倒でも、一番最初の対応が一番重要になります。


とはいえ、人事も人間です。本当に忙しい時に来られたら面倒にも思うでしょうし、忙しさにかまけて対応を先延ばしにしてしまうということもあります。
なかなかこの辺りが難しいところです。

あと、人事としてセクハラ・パワハラ対応で気をつけなければいけないこと、
それは問題を社外に出さないようにすることです。

具体的に言うと、問題を訴えてきた人の心をなんとしてでもつなぎとめて、外部の団体に訴えさせないことです。また、余計な人の介入をなんとしてでも防ぐこと(ユニオン、NPO、家族等々)です。
言い換えると、問題を社内で解決するということです。
当事者以外の人や団体が入ると解決できる問題も解決できなくなる可能性が出てきます。
物事をややこしくするだけで、本人の解決を遠くしてしまいます。
もちろん、社内でと言っても、臭いものに蓋をするとか、押さえつけるというのではありません。
芽が小さなうちになんとか当事者間話をつけ、解決に導くという努力が必要です。
ただ、人事は本来は中立な立場であるべきですが、どうしても会社の事情に流されたりしますし、何よりも訴えてくる人が人事を会社側の人間としかおもっていません。
そのため自分の主張が少しでも通らないと、所詮人事は会社側、と思って、簡単に外部に救済を求めがちです。
それをさせないのも人事の腕です。

訴えてきた人の信頼を勝ち得て、話を大きくさせない、これをやらなければいけません。
これが本当に難しいです。
人事って意外とたいへんなんです。

努力義務だからやらなくてもいい?

法律によく見られる条文に「努めること」「務めなければならない」と言った表記が見られます

いわゆる「努力義務規定」と言われるものです。
これに関してよく言われるのが、努力義務だからやらなくていい、という考え方です。
確かに「しなければならない」とまで書いていません。
だから、守らなくても罰則はありません。
また、よく似た表現で「〜しなくてはならない」と書いてあるのに罰則規定がないものもあります。
これも罰則規定がないので守らなくても罰を受けることはありません。
どちらも違反しても罰せられないと言う点ではおなじですが、法的な意味合いは全く違ってきます。
罰則規定がない場合は、罰則規定があろうがなかろうが、「~しなければならない」と書いてある以上、それをやっておかないと法的な責任は生じます。特に民事での損害賠償には大きく影響します。

一方、努力義務の場合はあくまでも努力義務なのだから、やってなくても法的な責任はそれほど高くないように考えられがちです。
確かに、やらなかったからといってすぐに責められるものではありません。
しかし、だからと言って、していないことへの責任がないかと言うと、そうではありません。

「努力義務規定」というのは、それを法が強制するには厳しすぎる場合が想定される、といった場合によく利用されます。
法の趣旨から見て、守ることが望ましいには違いないが、それをすることで対象者に多大な費用や労力を強いることになる、といった場合などがいい例かと思います。
では、何かことあった場合に「努力義務規定だから守らなくてもいい」という抗弁が成り立つでしょうか?
それは違います。
確かに、「守っていなかった」こと自体では責められる度合いはかなり低いでしょう。場合のよっては完全に免責される場合もあります。
しかし、
規定は「努めなければならない」です。すなわち、頭から守らなくてもいい、というのではなく、「守る努力をした」という事実が必要になります。これをちゃんと説明できなければ免責されないということになります。
言い換えれば、
完全ではないにしろ、ここまではやった、という努力の度合いによって、免責幅が変わってくるということです。

いきなりタッチアウトというよりはまだましかとは思いますが、努力義務規定だからと言って単純に「しなくていい」と考えたり、忙しさや煩わしさや、費用のこと考えて放置するのは企業の社会的責任を果たしていないことにもなり、糾弾されるポイントにもなることを企業側は認識しておくべきです。

努力規定は言い逃れの枠を提供してくれるものではありません。
努力規定であろうとなかろうと、また、罰則規定があろうとなかろうと、その条文一つ一つをあげつらうのではなく、
なぜ、そういった法があるのか、という立法趣旨の面から考えてして行動するべきです。

プロフィール

気まぐれ社労士 

Author:気まぐれ社労士 
企業では安全配慮義務や労務管理、人事制度・諸規定など課題はたくさんありますが、今の企業では「疲れ」への対策がすごく重要です。少しでも人事関連で疑問やお困りのことがあればご連絡ください。きっと解決策が見つかります!





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