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「考える」ということと「発想力」

昔、フランスの哲学者であるブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623-1662)は、人間を「考える葦」である、と言いました。
人間は自然の中で 最も弱いものである、ひとくきの葦にすぎない、しかし人間には「考える」という力がある、ということなのですが、確かに「考える」ことができるのは動物植物含めて唯一人間が出です(チンパンジーなどには思考の片りんが見える、という意見もありますが、高度な思考形態を持つのは人間のみと言っていいでしょう)。

もともと「考える」というのは人間の進化の過程において大脳新皮質を獲得したことから高度な多重回路の形成が可能になり、パブロフの犬のような条件反射が繰り返されることで新たな判断回路が付加されていったことの積み重ねによって獲得した機能であるといわれています(実際にはそんな単純な話しではないでしょうけど)。
言ってみれば「考える」というのは「考える」回路が脳内に形作られているということになります。
そうなると、この「考える」回路も使わないとどんどん劣化していくということですし、一方で、考えれば考えるほど「考える」回路は強化されていくとうことでもあります。
だから、考えて考えて考え抜く、ということはすごく大事なことであり、普段から何か常に考えている、というのは考える力を鍛えるためのかっこうのトレーニングになるということです。

そしてこの「考える」力と密接に関係するのが「発想力」です。
発想力、いわゆるインスピレーションというのは、考えて考えた結果として生じるものです。
荒っぽい言い方をするならば、発想というのは、思考回路をフル回転させた結果、他の何らかの刺激(インターラプト)によって思考連携のエラーが生じ、まったく新しい回路が生まれた結果生じるものです。
イノベーターと言われる人はずっと何かを考えていて、それが何らかの刺激で脳内に生じた新回路が発想を生み出す、ということによって生まれてきています。
考えることなしに発想なんてありえません。「神」は決して何もないところに「降って」きたりはしません。
ですから、よく、「考えても無駄」とか言いますが、決してそんなことはなく、

「発想」が生まれるには「考える」ことが何より大切であり、
「考える」ことの結果として「発想」が生まれることになります。
そしてその「発想」の質も「考える」深さと量に比例します。


だから我々は日頃から物事を「考える」くせを付けておかないと、いざという時の「発想」が貧弱になり、それこそ「下手な考え休むに似たり」と言ったことになってしまいます。
私も反省しきりです。

大阪労働大学講座に参加してます

最近これまでの勉強不足を少しでも解消しようと、いろんなセミナーをうけたり本を読みまくったりしているのですが、考えたら自分の基本である労働法がおろそかになってしまっていました。
特に最近の判例を基にした法理の変遷についてはまったくといっていいほどついていけていません。
何しろ大学で労働法とかを勉強したのはもう35年も前の話。最近の判例や法改正などは仕事柄常に読むようにはしていましたが、あくまでも実務レベルの話。
「法」というのはその条文や判例を勉強することが一番大切であるのは間違いないのですが、

・なぜその「法」ができた(改正された)のか
・その「法」の目的は何なのか
・その「法」ができた(改正された)社会的背景は何なのか

といった「法」の根本を理解しないと条文や判例の「意味」が分かってきません。
実務的にはそこまで必要ありませんが、やはりそれだけでは面白くありません。
でも労働法の講義ってなかなかないですし、あってもけっこう値段が高いです。
そんな時知り合いから大阪府の外郭団体である大阪労働協会が行っている「大阪労働大学講座」を教えてもらいました。
この「大阪労働大学講座」というのは昭和28年から行われているもので、社会人を対象にして労働に関する法律や経済、福祉等について基礎から専門分野まで体系的に学ぶため設けられた講座です。
関西を代表する大学教授などの講師による高度な専門講義を非常にリーズナブルな受講料で受けることができます。
実際に講師陣をみると、確かによくこれだけのメンバーを集めたなぁって感じです。
講義は前期後期で40講座を受講することになりますが、前期後期ともに7割以上の出席と課題クリアで大阪府知事の名前の入った終了証をもらうことができます。
皆勤すると記念品ももらえるそうです(^^ゞ
で、費用はというと、前期後期40講座でなんと5万円です。
前期または後期だけの受講も可能ですがその場合は20講座3万円になりますが、いずれにしても講師陣を考えたらかなり格安です。
(自費で参加する場合は助成制度もありますのでさらにお安くなります)
これは受けないのはもったいない、ってことで即申込しました。

そしてその講義の1回目が先日あり参加してきました。
場所は大阪天満橋近くのエル・おおさか(大阪府立労働センター)というところです。
時間は会社員を対象としていることもあって18時半から20時半です。実際に働いている人にはちょっと厳しいかなぁって時間帯ですね。
しかも、夕食とってる暇もないのでお腹も空きます(食べていくと眠くなるし・・)。
それでも行ってみると70名近い人が参加していました。どうも会社から申し込んでいる人も多いようです。まぁ、外部団体でこんなセミナーうけさせたら何倍もかかりますので安いものだと思います。

で、受けてみて・・・
やはり違いますね。資格勉強やスキルアップ講習とは違って法律の条文や解釈を中心にするのではなく、その背景を中心に講義が進みます。
そのため、法律の意味を学習できます。これがいいんですね。久々で大学の講義を思い出し、楽しい時間を過ごせました。
今日もその講義があります。
楽しみです・・・が、夕方に大阪に行くのが何となくめんどくさいです
(^^ゞ

大阪労働大学講座の詳しいことは下記リンクを参照してください。

http://www.l-osaka.or.jp/ork/pages/pageA.html

プロフィールのイラスト替えました

プロフィールの似顔絵のイラストを変更しました。
知り合いの社労士の先生に紹介してもらった「私立イラストレーター」のマツバラマサヒロさんにお願いして書いてもらった似顔絵イラストです。
あちこちでお披露目したら無茶評判よかったです。
神戸元町のモトコー2番地にイラストショップを開いています。
優しい、いい感じのイラスト書いてくれました。
感謝感謝です。

興味ある方は下記をのぞいてみてください。

マツバラマサヒロ

社労士と産業カウンセラー

実は今、一つのビジネスパッケージの立ち上げを行っています。
と言ってもそんな大げさなものではなく、社労士と産業カウンセラー、そして自分のメンタルヘルスマネジメントの経験を活かしたパッケージです。
実は産業カウンセラーのスキルを活かそうと思って色々な人へアプローチしてみたのですが、その結果わかったことは、

「カウンセリング」という言葉への強い抵抗感
「カウンセリング」という言葉は重い

でした。
カウンセリングの対象になる、というだけで「自分は病気なのか」とか、「自分に何か問題があるのか」と考えてしまいがちで、特に経営層からは、従業員に対してそういった警戒感を持たれることに対する強い忌避感があります。
カウンセリング制度を社内に導入する、ということがいいことであるとは理解していても、それを入れることで社員から無用な警戒感を持たれることをすごく嫌がります。しかも、コストがかかる割にはその効果が明確になりづらい、ということも拍車をかけているようです。

中小企業では今すごい人材難で、新たに人を入れることが非常に難しくなってきています。そして、今いる人たちをどうやったら辞めささずにすむか、ということも大きな課題となっています。人が辞めていくことに危機感すら持っています。

そんな中で「カウンセリングやるぞ」なんて言ってしまうと、「俺たちを病気扱いしている」とか、「高ストレス状態を認めた」とかなってしまって社員から反発を食らう、と及び腰になってしまいます。しかし、そうは言っても何もしないでいるわけにもいかない・・・
「カウンセリング」とはそんなものではない、といった説明や教育などやっている時間もありません。
中小企業の経営者ではこういったジレンマを抱えている人がたくさんいます。
そういった中小企業をサポートするための簡易カウンセリング制度パッケージを構築する、ということが今やっていることです。
もちろんパッケージは会社ごとにあわせてフルカスタマイズになりますので手間も時間もかかります。
その上、経営者が導入しやすいように基本パッケージ自体はかなりリーズナブルな金額に設定していますので多くの利益は望めません。
ただ、最近色々な経営者の方々と話をしていて、こういったものの必要性を強く感じるようになりました。
経営者は経営にそのエネルギーの大半を注ぐべきで、それ以外の部分では外部の力を借りて対処すべき、というのが私の持論ですので、それともマッチします。
人事労務の事を深く理解しているからこそできるカウンセリング制度を作っていくことが私の目標です。

近況 なんかバタついてます

ここんとこちょっとバタついてました
なんか用事っていうのは重なるもんだなぁって感じです。
そして、この3日間で、かつての同僚たちと立て続けに4人も出会うという偶然も経験しました。
これはちょっとびっくり。
関西在住の人だけでなく、東京在住の人まで!
ホント驚きです。
しかも、しかも・・・
昨日は昔の上司の人ともこれまた偶然に遭遇です。
なんかあるのかなぁ、なんて考えてしまいました。
その元上司の人はたまたま出張で神戸に来ていたということでしたが、少しなら時間があるということなのでお茶しながら昔の事や知り合いの現状などを話しながら楽しく過ごしました。
元上司は厳しい人で、よく怒られたものですが、今となっては懐かしい限りです。
しかも、その元上司が私のこのブログを読んでくれているということでまたまたびっくり。
そこで、またいろいろと感想を聞かせてもらいましたが、やっぱり元上司に指摘されると気恥ずかしい限りです。
いくつか意見をもらいましたが、それはまた別記事であげます。

それにしても、この1か月くらいの間、街で偶然知り合いに合う率が異常です。
平均すると2日に一人くらいのペースです。
特にそれまで1年以上まったく連絡を取ってなかった人と会う率高いです。
もしかして何かの予兆なのかな?って思ってます。
もちろん、「いいこと」のです。

公平な評価と公正な評価

先日ある人と話していて「評価」について改めて考えさせられました。
私は「評価」こそが人事制度の根幹であると信じていますが、同時に何よりも難しい問題であるとも感じています。
そもそも私は人事の仕事は社内の不公平感を少しでも和らげ、組織が潤滑に機能するように働きかけることだと考えています。
そしてその社内の不公平感の正体こそは評価への不公平感です。
すると、組織がうまく機能していくためには「公平な評価」をすればいいわけです。
では、その「公平な評価」はどうすればできるのか・・・

そんなの絶対不可能です!

何故なら、評価者と被評価者は別人格なのですから他者評価と自己評価が同じ結果になるはずがありません。人はそれぞれが個々の価値観を持っていて、決して他者と同じということはありません。すると、全く価値観の違う評価結果に納得感を持つこと自体が大変難しいということになります。
また、人間は他者と自をの比較をする生き物でもあります。仮に一旦は評価に納得したとしても他の人の評価と比較した結果、自分の評価に不満が出るということはよくある話です。全員が同じ評価でない限りこれは避けられませんが、「全員一律」では評価の意味そのものがなくなってしまいます。
(一部の組織形態ではこれも有かな、とは考えていますが)

では、「公平な評価」が不可能であるなら評価の「あるべき姿」は何なのでしょうか?
そこで出てくるのが「正当な評価」です。「公平」がだめならせめて「公正」というわけではないのですが、目に見える形としてはまだ現実味のあるものかと思います。
とはいっても「正当な評価」というものも実に難しいものです。
何よりも「正当な」の意味が難しいです。いったい何が「正当」なのか?
これは人によっていろいろ解釈がありますが、私としては、

「正当な評価」とは「きちんと言葉に出して第三者に説明できる評価」

だと考えます。
評価結果がどうであれ、評価した人間はその評価を下した「理由」とそこに至る「プロセス」があったはずです。それをきちんと説明できるかどうかが重要です。
説明ができれば仮に本人が感情的に納得がいかなくても受け入れざるを得ませんし、それにより人は納得感を得るようになります。
また、他の人の評価と比較しても、その人の評価が説明できるものであれば、人はそれを受け入れます。

「正当な」という意味には「規定に従って粛々」と行う、という意味もありますが、「評価」は人の心の問題も絡んでくるため、「規則を守る」だけでは人の心に響きません。心に響く「正当な」評価を目指すことが「人を活かす」路でもあろうかと思います。

ただ、そうは言ってもこの「説明できる」っていうのも本当に難しく、評価基準やそのプロセス作りもすごく大変です。
だからこそ、私としてはチャレンジし甲斐のある課題であると考えます。

プロフィール

気まぐれ社労士 

Author:気まぐれ社労士 
企業では安全配慮義務や労務管理、人事制度・諸規定など課題はたくさんありますが、今の企業では「疲れ」への対策がすごく重要です。少しでも人事関連で疑問やお困りのことがあればご連絡ください。きっと解決策が見つかります!





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